令和5年の遍路 (21番・71番・75番)

 

(21番札所 太龍寺)

 

(71番札所 弥谷寺)

 

(75番札所 善通寺)

 

(75番札所 善通寺)

 

 

 

21番札所 太龍寺

前回(令和元年)から四年経っての四国巡礼です。 夫婦揃って70代となり、今後の巡礼は残念ながらほぼあきらめていました。しかしテレビなどで四国各札所の様子が流れる度にお互いに札所の思い出を語り合い、「もう一度お参りできたらな」との想いがどんどん大きくなりました。全部の札所はとても無理だけれど、それぞれ思い出に残る札所を選んでお参りすることは出来るのではと話し合いました。

私が選んだ札所は21番太龍寺です。 最初の四国遍路はおよそ30年前の夏で、高校生の息子達との徳島県歩き遍路でした。難所はたくさんありましたが、とりわけ20番鶴林寺から太龍寺までの道のりは上り下りが続き本当に大変でした。休み休み歩き続け長い山道を抜けた時、太龍寺が現れ本当に感無量でした。助けてくれた息子達に感謝です。

 

71番札所 弥谷寺

夫が選んだ札所は71番弥谷寺です。ここを選んだ理由は、他の札所と異なる独特な雰囲気を纏った弥谷寺が忘れられないからだそうです。

本堂は弥谷山(標高382 m)の中腹225 m辺りにあるので、長い長い階段を上り続けなければいけません。また、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数えられたといわれています。納経所は大師堂の中にあり、ここも霊的な空気が漂っています。なお、寺を去るとき、決して振り返ってはいけない、それは死者を背負って帰ってしまうからとの云い伝えがあります。

ウオーキングで鍛えた夫と違い、私は途中でギブアップするかもしれないと思っていたのですが、階段途中に用意されたありがたいベンチとお杖のおかげでどうにかお参り出来ました。

 

75番札所 善通寺

最後に選んだ札所は、古くから弘法大師空海の誕生地と伝えられている75番善通寺です。

広い境内には,空海自作の『薬師如来』を本尊とする五重塔,金堂,御影堂,親鸞上人堂,大楠などがあります。 御影堂の地下には約100メートルの通路をめぐる「戒壇めぐり」があります。真っ暗な中を進み自己を見つめなおす精神修養の道場です。しばらく歩くと暗闇のなか、かすかな明かりが見えます。 お大師様が産まれた場所の真下にあたるところに小さな部屋があり、現代の科学技術を駆使して復元された弘法大師様の声が聞こえてきます。

今回の遍路はわずか三か所でしたが、私にとってそれはとても有意義なものでした。 年と共に体力に自信がなくなり、長い階段や山道はとても無理だと思っていたのですが、今回難所とされる札所を2つとも歩き通せたことが、もう少し頑張れるかもという望みにつながりました。 また四国の土地にお邪魔出来るかどうか今は分からないですが、望みだけは持ちながら、日々の暮らしをしていきたいと思います。 

何回めの遍路の時だったか忘れましたが、雲辺寺で声をかけて下さったご夫婦の言葉が懐かしく胸によぎります。「もう今回で大変な遍路は終わりにしようと思う。でも家に帰ってしばらくすると、また遍路に出たくなります。 これを私たちは四国病と呼んでいます。」 私たち夫婦ももはや「四国病」なのかもしれません。

 

 

BACK